初めてこちらをご覧になる方へ

野球やサッカーはたまた競艇や競輪とは違い、騎手の勝負は
競馬場に行く前におおかた決着がついている
一騎手が勝ち星を積み重ねるためには、馬を御す能力や、
レースの戦略を立てる能力以上に、強い馬に乗れるかどうかが
大切なのです。
「騎乗以外のありとあらゆる要素」を見直す事は競馬での勝ちに
直結するのです。
※騎乗技術、馬術、馬を乗りこなす(馬を御す)能力ですが、
騎手はみんな一応「プロ」なので、実は思われているほど差はない。

大事なのは、レースの流れや相手の出方を読む「展開推理力」
や、戦法を決めたり状況に対応したりする「判断力」。
「ペース判断」や「コース取り」、さらにはその騎手自身の
「性格」「モチベーション」「気性、勝負根性」や「決断力」。
戦略力の高低と、騎手のキャラクターを把握できれば、
馬券の結果に直結する。

この「戦略力」こそが、勝ち負けを決める大きな要素である。
と私は思っています。
この戦略力を自分なりに、見直すことをしてからは確実に
自分自身の競馬予想の力が向上していることを感じています。

大事なことは、今現在の出走馬等々で予想をする事ではなく
過去のデータを洗い直しまとめることが大事なのです。
普通に競馬を趣味としてやっている人には、
これは大きな負担になることでしょう。
じゃあそれをブログで簡単に見ることが出来たら便利ではないですか?

「それではわかりました」

こちらのブログを皆様の勝利の手助けになりましょう。

あのレースの後談

あの皐月賞のレース後には厩舎サイドに気を遣ってか、
やむを得ない展開だったという旨のコメントを出して
いますが、文脈からは完全に
「だから逃げればよかったのに」と
いう主張がヒシヒシと伝わってきます。
今まで好き放題やらせてもらってきたのが、いきなり
そういうわけにいかなくなり、さらに指示通りに
乗ったら最悪の結果になったわけですから、
受けた悔しさは相当なものだったはずです。
ダービーでは一転して気分良く行かせる競馬
(通過順は2番手ながら、ショーカプチーノが
暴走気味に飛ばしたので実質的には単騎逃げ)
に出て、2着を確保。
武豊騎手が思い描いた通りの戦法がいい結果に
結びついたわけで、それ自体はさすがだと思うのですが、
ここで強調したいのは「あの武豊が陣営から乗り方の
指示を出されるようなレベルの騎手に落ちた」と
いうことです。
営業に力を入れるようになったのと同様、これは
かつての武豊騎手からは考えられないような現象です。
09年に入って「これまでにないこと」が立て続けに発
生していることが、武豊騎手の現状を如実に物語って
いるといえるでしょう。

武豊に指示をするという事

今の武豊騎手を象徴する出来事が皐月賞で起こりました。
レースでの作戦に陣営(橋口厩舎)から指示が出たらしいのです。

 「絶対に逃げるな」と。

武豊といえば、お任せ騎乗の代名詞的存在。
調教師が「絶対にこう乗れ」といわれることは皆無に
等しかったでしょうし、武豊騎手のほうが
「逃げたほうがいいと思います」と進言したら、
それを否定する調教師はいませんでした。
その。常識が覆ったのです。
これには伏線があります。皐月賞の前走の
きさらぎ賞でも、陣営は控える競馬を試したいと
考えていました。
しかし、武豊騎手は無理に抑えずに逃げるレースを
選択し、リーチザクラウンはそのまま先頭でゴール板を
通過しました。
はたから見れば、力の違いで逃げ切ったように映りましたが、
橋口調教師はその内容に納得がいかなかったようです。
そして、勝利騎手インタビューで控える競馬をしなかったこと
に言及したアナウンサーに対し、武豊騎手は珍しく苛立った
表情を浮かべ、「逃げちやマズいんですか?」と
半分キレかかった態度をとっていました。
たぶん、検量室に引き揚げてきたときに、控えなかったことを
調教師に指摘されたか何かしたんでしょう。
この一件があった後に迎えた皐月賞だったので、
さすがの武豊騎手も指示に従うしかなかったのだと思います。
行きたがる馬を強引に抑え込み、制御の利かない状態で
4~5番手を追走していました。
絶対に逃げるなといわれていたから、
ああするしかなかったわけです。

08から09年は政権交代

09年、政治の世界では実際にそれが起こりましたが、
競馬の世界でも歴史的な「政権交代」の瞬間が来ましたね。
20年近く(海外長期参戦によりリーディングを明け渡した
01年を除く)続いた武豊王朝の崩壊です。
私が競馬が好きになった時には、既に武豊王朝が始まっていました。
武豊が乗れば勝つ。こういったとしても過言ではないくらいの時代でしたね。
がしかしこの08年残り投下くらいの時には
内田騎手の135勝に対し、武豊騎手は125勝。
実に10勝もの差がついていたきがします。
騎乗停止、ケガや病気などのアクシデントによるリタイア、
プレッシヤーによる極度のスランプに陥ることでもない限り、
内田騎手は年末までに最低10勝はするでしょう。
彼の09年の勝率、そしてリーディング獲得へ向けての
必死さを考えれば、20勝以上してもなんら不思議ではありません。
乗り馬を厳選して数多く乗らなくなった武豊騎手の
現状を考えると、これは途方もないノルマといえます。
どんなに必死になって騎乗数を増やしたとしても、さ
すがに届かないのではないでしょうか。むしろ、本来
の姿を見失って手当たり次第に乗っていたら、さらに
差の開く可能性が高まるに違いありません。

08年の武豊

09年の中央競馬が終わるのと同時に、ひとつの時代
が終焉を迎えましたね。
長きにわたり頂点に君臨し続けてきた武豊騎手の王座陥落は、
私の中でもかなりのショックでしたね。

武豊の「ブランドカ」の低下を感じてはいました。
ここでいう「ブランドカ」とは、馬に乗る以外の騎手の能力、
人間関係や生き様を含んだ総合的な能力のことです。
「乗り馬集めのブランドカ」と「騎手間のブランドカ」が
2本柱となり、これ以外にもさまざまな要素を含みます。
08年、武豊騎手の「ブランドカ」の低下ぶりは非常に
顕著なものでした。
では、09年はどうだったのか?
隆盛を誇っていたかつての武豊騎手と比較すると見る影も
ありませんが、前年からは横這いというか、
ギリギリのところで「ブランドカ」は下げ止まりになった
感があります。
08年は、午前中のレースではそれまで通りの
パフォーマンスを見せていましたが、特別レース以上に
なると明らかに騎乗馬の質が落ち、目立った成績は残せ
ませんでした。
昔なら自分か乗っていたはずの有力馬を、
他の騎手に持っていかれ、重賞はわずか3勝
(うちG1が1勝)を数えるにとどまりました。